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今日何を読んだ、面白かったレベルの読書感想文メイン雑記
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文春文庫刊。

呉旅行にて第6号潜水艇慰霊碑を訪ね、直接の関係は無いものの思うところがあり再読。
文春文庫版のこの本には表題の「総員起シ」を含め、5本の中、短編が収録されています。吉村氏の小説は、日常のほんの僅かなズレから始まることが多い。それは棕櫚の買占めだったり、一葉の写真だったりするのですが、ズレが次第に深く深く、底が見えない程に深く裂けていくさまが、私には恐ろしくてならず、また惹かれます。そしてこの本の中で、そのズレが最も至近にあるのが表題作ではないかと。
ある日、「私」は六葉の写真を手にする。写真には横たわる水兵たちと、うち一葉は直立する水兵が写されていた。「私」は写真の水兵たちが、伊号第33潜水艦の乗員であり、事故で同艦が沈没した際に殉職したこと、写真は事故後9年経った昭和28年、伊33がサルベージされた際に撮影されたものであること、直立する水兵は縊死体であるのを知る。
戦時中に沈没した潜水艦を引揚げたら、密閉された部屋があり、そこには亡くなったときそのままの姿で遺体が残されていた、その沈没時と引揚げ時の状況を、「私」の関係者からの取材という形で再現していった話です。タイトルは件の部屋を見た作業員の「総員起シの命令でも掛けたら飛び起きそう」という一言から。小説…なのか?少なくともネタ自体は実話。吉村氏の小説は想像力で描くというより情景を切り出す力が強くて、近現代の話になるとフィクションとノンフィクションの境目がたまに判らなくなる。
戦争も十年一昔の話となりつつあったある夏の日、赤錆びた潜水艦が瀬戸内に浮かび上がる。想像してみてその異様さに背筋が凍りました。これが2000年代の今ならば、歴史のひとつになりもするでしょうが、十年という時間は半端に過ぎます。歴史にはなりようもない、しかし忘れることも出来る、一方で鮮明な記憶を保ち続けることも出来る時間です。ましてや十年の時降りたその身の内に、十年前のある一瞬がそのまま凍結していたとしたら。
そこから先へと思考が進みません。いや、もしその場に自分がいたらこうなるだろうな、という想像は勿論出来る。事故から生還された方の言葉も、多分理解出来ている。ただ、本当に目の前にしたら、言葉は出てくるんだろうか。柩と化した艦体を透かして、一体何を見るんだろうか。ましてやあの部屋を見たら。見ないまでも存在を知ったら。夏の海の照り返しに炙られて、十年、そして戦争の断片がそこに存在するという事実を受け容れられるのか。………乗組員の方々の描写もさることながら、様々なものを突きつけられる気がする一篇です。だから何度読んでも処分できない。吉村氏の小説はどれもだけど。

なお、この伊33の慰霊碑が東郷神社にあるそうです。心からの哀悼を。
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