今日何を読んだ、面白かったレベルの読書感想文メイン雑記
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
風ばかりが音を立てて渺渺とした荒れ野を渡っていた。県南の天与の豊穣とは似ても似つかぬ不毛の台地だ、水の便が悪くて水田はおろか、畑作にも向かない。だからこそここでは古くから馬を飼い、いまはこうして鉄路を敷く。
「なにもないじゃないか」
久留里が唇をとがらせた。鉄道連隊が敷設したこの県営鉄道は、まだ少年と呼ぶにも足りないくらいのちいさなこどもの姿をしていた。珍しい灰色の髪は無造作に伸びていて、刈るか括るかすれば良いのにといつも思うのだが、商店街のおばちゃんが揃えてくれるのだと言われれば習志野が嘴をはさむ余地はない。
習志野と久留里は連れ立って演習地を歩いていた。ところどころに松林が点在するほかは何もない。砂埃の向こうに遠く霞んで民家がぽつりとあるばかり。ふたりがたどるのはそんな荒れ野の細い道だった。
「線路なんてないじゃないか」
「あったとも」
「でもないよ」
「昨日まではあった」
振り返ると、久留里が立ち尽くしていた。後ろを見て、前を見て、困惑したように習志野を見上げて、口を開けて閉じた。習志野が顎で促すと、小走りに久留里は追いついた。
「撤去したからな」
「てっきょ?」
「敷設して、用が済んだら全部剥がして片づけるまでが一連の流れだ」
「剥がしちゃうのか?なんで?」
「敵に使わせないためだ」
てき、と久留里が顔を上げた。ああ、この子は民間鉄道なのだ。敵という単語が身についていない。
手を伸ばすと、久留里は外套から手を出して、おずおずと習志野の指先を握った。久留里の外套は習志野の外套の仕立て直しで、陸軍の濃いカーキ色だ。灰色の髪とはあまり合わない。子供らしいふくふくと柔らかな手とも合っていない。
「600ミリの軽便軌道は、枕木とレールがくっついたやつを畳みたいに並べて敷くのは知ってるだろう」
「うん」
「あれは早く敷くためだ。時間勝負だから簡単でいい。用が済んだら剥がせばすぐにこの通りだ」
「おれみたいに、ずっと走るときはどうするんだ?」
「あとからゆっくり、きちんと整備すればいい。お前みたいにな」
一通り聞くと、久留里は視線をつま先に落とした。整地だけは施した細い小道に、つい昨日まで機関車が走っていたという事実に追いついていないと習志野は見た。敷設と撤去は習志野にとっては日常だ。まさにその演習のために敷かれたのが自分たち演習線なのだから。
「習志野」
「なんだ?」
久留里が顔を上げ、砂埃にぱちぱちと目をまたたかせた。こすろうとする手を膝をついて止める。髪といい、三白眼気味の目といい、久留里は誰に、何から容姿をもらったのだろう。それを言ってしまうと自分の容姿を顧みて妙な気分にならざるを得ないが。真摯に、久留里は言った。
「もしこの線路がずっと走ることになったらどうだったんだ?」
「お前と同じだな。バラストを敷いて、枕木を並べて、名前をつけて」
「…。そっか」
どれ、と習志野は久留里を抱き上げようとした。目的地は小さな久留里の足にはまだうんと遠い。一度この自分の縄張りを歩かせてみたいと思いついたのが間違いだった。なにもこの春の大風の日でなくてもよいではないか。民間鉄道が、軍の何を知ってどうするのか。
だが久留里は、習志野の腕を拒んだ。代わりに指先ではなく、習志野の左手をしっかりと握り直し、そうしてまっすぐに習志野を見た。
「もし、もしもここにあった線路が」
「うん」
「名前をもらっていたら、俺のおとうとだったんだよな?」
行こう、と手を引っ張られ、習志野は立ち上がった。渺渺たる不毛の地、ごうと音を立てて風が渡る。大小の外套をはためかせて、こどもに引かれるままに習志野は鉄路の跡を辿った。
「なにもないじゃないか」
久留里が唇をとがらせた。鉄道連隊が敷設したこの県営鉄道は、まだ少年と呼ぶにも足りないくらいのちいさなこどもの姿をしていた。珍しい灰色の髪は無造作に伸びていて、刈るか括るかすれば良いのにといつも思うのだが、商店街のおばちゃんが揃えてくれるのだと言われれば習志野が嘴をはさむ余地はない。
習志野と久留里は連れ立って演習地を歩いていた。ところどころに松林が点在するほかは何もない。砂埃の向こうに遠く霞んで民家がぽつりとあるばかり。ふたりがたどるのはそんな荒れ野の細い道だった。
「線路なんてないじゃないか」
「あったとも」
「でもないよ」
「昨日まではあった」
振り返ると、久留里が立ち尽くしていた。後ろを見て、前を見て、困惑したように習志野を見上げて、口を開けて閉じた。習志野が顎で促すと、小走りに久留里は追いついた。
「撤去したからな」
「てっきょ?」
「敷設して、用が済んだら全部剥がして片づけるまでが一連の流れだ」
「剥がしちゃうのか?なんで?」
「敵に使わせないためだ」
てき、と久留里が顔を上げた。ああ、この子は民間鉄道なのだ。敵という単語が身についていない。
手を伸ばすと、久留里は外套から手を出して、おずおずと習志野の指先を握った。久留里の外套は習志野の外套の仕立て直しで、陸軍の濃いカーキ色だ。灰色の髪とはあまり合わない。子供らしいふくふくと柔らかな手とも合っていない。
「600ミリの軽便軌道は、枕木とレールがくっついたやつを畳みたいに並べて敷くのは知ってるだろう」
「うん」
「あれは早く敷くためだ。時間勝負だから簡単でいい。用が済んだら剥がせばすぐにこの通りだ」
「おれみたいに、ずっと走るときはどうするんだ?」
「あとからゆっくり、きちんと整備すればいい。お前みたいにな」
一通り聞くと、久留里は視線をつま先に落とした。整地だけは施した細い小道に、つい昨日まで機関車が走っていたという事実に追いついていないと習志野は見た。敷設と撤去は習志野にとっては日常だ。まさにその演習のために敷かれたのが自分たち演習線なのだから。
「習志野」
「なんだ?」
久留里が顔を上げ、砂埃にぱちぱちと目をまたたかせた。こすろうとする手を膝をついて止める。髪といい、三白眼気味の目といい、久留里は誰に、何から容姿をもらったのだろう。それを言ってしまうと自分の容姿を顧みて妙な気分にならざるを得ないが。真摯に、久留里は言った。
「もしこの線路がずっと走ることになったらどうだったんだ?」
「お前と同じだな。バラストを敷いて、枕木を並べて、名前をつけて」
「…。そっか」
どれ、と習志野は久留里を抱き上げようとした。目的地は小さな久留里の足にはまだうんと遠い。一度この自分の縄張りを歩かせてみたいと思いついたのが間違いだった。なにもこの春の大風の日でなくてもよいではないか。民間鉄道が、軍の何を知ってどうするのか。
だが久留里は、習志野の腕を拒んだ。代わりに指先ではなく、習志野の左手をしっかりと握り直し、そうしてまっすぐに習志野を見た。
「もし、もしもここにあった線路が」
「うん」
「名前をもらっていたら、俺のおとうとだったんだよな?」
行こう、と手を引っ張られ、習志野は立ち上がった。渺渺たる不毛の地、ごうと音を立てて風が渡る。大小の外套をはためかせて、こどもに引かれるままに習志野は鉄路の跡を辿った。
PR
この記事にコメントする